一話見終わると劇中どこか場面が浮かぶ・・
きっと現代社会で生きるすべての人に刺さるものが作品の中のどこかに隠れているんだろう。見る人の心にスッと入ってきて日常に必要なエッセンスのようなドラマ「ウヨンウ弁護士は天才肌」はネットフィリックスにて現在配信中。
ドラマ【ウヨンウ弁護士は天才肌】魅力セレクト3
【その①】主演パクウンビンの果てしないポテンシャル
まず評価されるべき女優パクウンビンという人間そのまんまを評価したいくらいの演技力は見てる人に違和感を抱かせず何も気を使わせないナチュラルでかつ本物を思わせるデリケートで細やかな部分まで汲み取った演技。彼女の演技は見る価値あり。
(近況)【カメレオン・パクウンビン】ここからの、、(下へ続く)
そう、【恋慕】からのウヨンウ。
そして、回想…(同じ女優さんかと思うレベル)
ホジュンの妻ダヒを演じているパクウンビン。カメレオン俳優女優さんは演じる役で「声」も全部違う。演技力含めほんと驚きを隠せません。
カメレオン再確認!
【その②】差別や偏見を作品内で扱いながら社会へのフラットな視点を演技力満点な俳優陣で描く
私たちの日常生活でもニュートラルな考えはとても大切で時にこれができないために人間関係にまで影響を及ぼしたりしえると思うのです。
このドラマの主人公「ウヨンウ」という名前は韓国で男性でも女性でも使用できる性別を連想させない名前であり、視聴者や社会に対して平等性を含めていると感じました。
またそれを助けるかのような出演俳優陣の演技には強いチームワーク、思いへの一致などを感じ、作品の内面にある深さを伝えるメッセージ性が見る人達の心を掴むと思いました。
【その③】LGBTQや性別・国籍・障がい者などを分けて考えないボーダーレス【前向きな可能性を視覚と聴覚から感じさせ訴えかける】
未来を明るく照らす可能性を目に見える形で見せてもらってるように思える空気感は何も考えず気楽に見ることができるにも関わらず重い内容を扱っている。
ボーダーがあることによって苦しめられていた人たちにとって、これから歩んでいく上でのポジティブな可能性は非常に心強くもあり見ている人たちへ新しいビジョンになると思える。
経験の形が違うからこそほかの人たちとは違う目線で違う経験をし、より鋭いまなざしで世の中を見ていることで思慮深く人の気持ちがわかったりもできる。また寄り添えたりする部分もあるだろう。そんな現代社会をリアルタイムに訴えるドラマ。
聞こえないハンデや目が不自由なハンデを持ってる方が身近にいらっしゃる場合でも聞かせてあげたり、字幕付き映像で見せてあげてほしいです。そしてコミュニケーションがそこから生まれたら素敵ですよね。
一見関係なさそうなことから得ることもある
主人公は「自閉症スペクトラム(自閉スペクトラム症)」という病気を抱えています。
例えば「なんだ、自閉症なら私の障がいとは関係ない」とか「友人は自閉症じゃないからまたちがうな」などと思ったとしても実際に理屈的にはそうかもしれません。
ただ人生背景や経験などからみると「違うことで学ぶことがある」を改めて実感することができます。関係なさそうな思いがけない部分から全く違うところの悩みが消えたりするものだと思うのです。
このドラマにもデリケートで繊細な部分を共有しドラマという形で作品に触れることで私たちの心に寄り添ったほかほかと心が温まるような要素がたくさんあると思いました。
見る前に思う【ナゾの迷い】をとっぱらってくれた作品
私はいまだに映画やドラマなどの作品をこれ見ようあれ見ようと前のめりに作品を物色できずタイトル見て「これ面白いかな、見る価値あるかな」など見るか見ないかを打算的な迷いで考えて決めてしまうところがあります。
【ウヨンウ弁護士は天才肌】を見始めてからはそういう打算的な考えでいい作品を逃すのはもったいないと感じることができました。そして【考える前に感じろ】という言葉が頭をよぎりました。
まだまだ配信中真っ只中ですので今後も柔らかあたまで見よう
(おまけ①)ドラマタイトルの「ウヨンウ弁護士は天才肌」の、
タイトル翻訳がいつも見るたび微笑ましくてうれしくなるのです。
というのも韓国での原題を直訳すると「이상한 변호사 우영우」(おかしな弁護士ウヨンウ」となりますが、文化や社会背景様々な部分から訳者の方が日本版のタイトル訳を【ウヨンウ弁護士は天才肌】にしてくれたことには勝手に肯定的でとてもいいなと思いました。もともとある作品の潜在力を底上げする翻訳者の方に尊敬と感謝。
(おまけ②)ドラマ見てるとキンパ(韓国のり巻き)が食べたくなるかも
韓国ドラマでは食事を大切に思ったり挨拶として使われたりという文化があります。このドラマでは、キンパ。
ドラマもキンパもご堪能あれ。
さいごに
この記事は「可能性」という言葉をキーポイントに書きました。私たちはどんな状況でもその人(ご自身だけの)可能性があると思っています。
どんなものであっても作品は手軽で一番身近な私以外の誰かの人生を見て知ることができます。
たとえそれがフィクションであっても想像力は心の栄養になると思っています。ここまで読んでいただいてる方へまた感謝申し上げます。